新しい時代の幕を開けた講道館の男達。
柔道対柔術。死闘の果てに、未来は開けたのか!?
・時代 1885年
・対戦 講道館VS柔術
・ルール 柔術
・勝敗 講道館の勝利
※今回の話はあくまでも筆者が様々な小説や資料を読んだ上で脚色したお話です。
実際には柔術の衰退には諸説あることを念頭において読んでいただけましたら幸いです。
明治時代。東京大学出身のとある青年は柔術を学び感銘を受ける。
???「うわ~これが柔術か!!!なんて素晴らしいんだ!!」
青年の名は嘉納治五郎。後に「日本体育の父」と呼ばれ、1964年の東京オリンピック開催に尽力することとなる。
彼は様々な柔術を学び、尚且つ、その聡明な頭でそれらの技術を体系化し、更に初心者でもすぐに強くなれる為に、技術を分かりやすく習得できるよう手心を加えた。
これが、講道館柔術、現在柔道と呼ばれる武術の始まりである。
講道館には四天王と呼ばれる四人の嘉納治五郎の高弟がいた。
それが、西郷四郎、横山作次郎、山下義韶、富田常次郎である。
特に西郷四郎、横山作次郎の実力はずば抜けており、西郷四郎は小柄ながらも卓越した技術で講道館を支え、横山作次郎はそのあまりの強さから『鬼』と呼ばれ、後に世界を変えることになる不世出の格闘家、前田光世の師匠となる。
そして、明治時代に出来たのが警視庁である。
警視庁発足に伴い、警察に武術を教える警視庁武術世話掛が誕生する
警視庁武術世話掛として、当初は柔術が採用されていたが、年に一回開かれる警視庁武術大会において事件が起きる。
1885年、その年に開かれた武術大会において、新興勢力であった講道館が破竹の勢いで勝ちまくったのである。
これを受けて、警視庁は柔道を警察の武術に採用。
今尚、警察が柔道を習うのは、そして、ひいては我々が体育で柔道を学ぶのはこの試合で、講道館が勝ったからと言っても言い過ぎではなかろう!!!
しかし、柔術は遥か異国ブラジルで生きていた!!!!