・時代 1976年
・対戦 アントニオ猪木VSモハメド・アリ
・ルール 異種格闘技戦
・勝敗 引き分け
世紀の凡戦???
いや、これぞ真剣勝負だッッ!!!
全てを賭けて猪木は王者に挑んだ!!!
アリ『100万ドルの賞金を用意するが、東洋人で俺に挑戦する者はいないか?』
1975年、モハメド・アリはこう言った。
モハメド・アリ。WBA、WBCの統一王座。通算3度の王座奪還、合計19回の防衛。数々の名勝負を強敵と繰り広げたのみならず、ベトナム戦争反対、黒人差別反対運動にも参加、リング内外で戦い続けた偉大なチャンピオンであり、今尚彼を最高のヘビー級チャンピオンだと言う識者は多い。
そんな彼はビックマウスでも知られ、傍若無人な発言が度々注目されていた。
以上のような発言もアリ流のリップサービスで、誰も本気に受け取りはしなかった。
猪木以外は・・・
猪木『100万ドルに900万ドルを足して1,000万ドル(当時のレートで30億円)の賞金を出す。試合形式はベアナックル(素手)で殴り合い。日時、場所は任せる』
猪木はアリに以上のような挑戦状をたたきつける。
これにはさまざまな背景があったと言われている。
アントニオ猪木。彼は伝説のレスラー力道山の弟子であり、力道山の死後、日本プロレスでジャイアント馬場と人気を二分するが離脱。
1972年に新日本プロレスを立ち上げたばかりであり、このアリへの挑戦状も売名行為のひとつであると考えられていたが、猪木は2016年のインタビューでこう言っている。
猪木『アリが「ボクシングこそが最強だ」と言っててね、おうそれだったらやってやろうじゃねえか、ってなにも考えずに噛みついた。』
https://wpb.shueisha.co.jp/news/sports/2016/05/28/65825/
より抜粋(一部内容を書き換えています)
なんと、何も考えていなかったのである。
この直観力こそ、猪木最大の長所ではなかろうか・・・
この挑戦状にアリは反応
アリ『猪木なんてレスラーは名前すら知らなかったが、相手になる。レスリングで勝負してやる』
こうして、二人は戦うことになった。
しかし、試合が決まってからもファイトマネーでもめにもめ、更にアメリカで行われた記者会見ではアリが猪木を『ペリカン野郎(猪木の大きな顎を指して)』と罵れば猪木も『アリは日本語で蟻。虫けらを指す言葉だ』と舌戦を繰り広げた。
そして、1976年6月。試合の為、アリは日本に来日する。
試合直前の会見でもアリは猪木を挑発し続ける。
アリ『猪木の汚い顔は見たくない』
アリ『俺は世界一有名な男。猪木は俺と戦ったおかげで有名になる男』
言いたい放題である。
さて、ここでモハメド・アリ側の心情を説明せねばなるまい。
昨今、(2022年10月現在)猪木の死去に伴い、この試合について改めて触れられることが多くなり、その報道の仕方は明らかに猪木に寄り添い過ぎており、アリが悪役になってばかりであると、筆者は思う。
アリは故人であり、その心情はもう窺い知ることは出来ないが、残された資料等から、筆者なりにアリが置かれた立場、そして心情を説明し、猪木VSアリ戦における彼の汚名を返上したい。
当時、アリはこう考えていたに違いない。
アリ『いやあ、俺仕事するなあ…』
どういうことかと言うと、アリのビックマウスはただただ試合を盛り上げる為だけに行っていたのである。
実はアリ、結構なプロレスファンだった。つまりプオタだったのだ。
プロレスとはヒール、ベビー同士の抗争、そしてブックと呼ばれる筋書きのある試合展開、更にはマイクパフォーマンスとショー的な要素がとても強い格闘技である。
悪役レスラーは試合前にめちゃくちゃに酷いことを言って、因縁を作り、試合を盛り上げるものである。
※(余談になるが、こういう風潮はプロレス以外の格闘技にも派生している。例えばキックボクサーの皇治選手は試合前にめちゃくちゃ相手をディスりまくる。それで、乱闘になったりして試合前から注目を集めるのである。こうすることで、ファンは皇治選手が負ければ『ざまあみろ』と思うし、勝ったら『アイツ口だけじゃないんだな』とどう転んでも美味しい状況になるのである
アリは自分のキャラクターとプロレスの性質を理解し、『プロレスの興行するんなら、めちゃくちゃ言って盛り上げたろ』と考えていたに違いないと筆者は考える。つまり、アリなりのマイクパフォーマンスだったのではなかろうか。
つまり、アリは試合を盛り上げる為にワザと悪役(ヒール)を演じていたのである。
事実、アリはかなりサービス精神が旺盛な性格だったと明かされているため、これは十分あり得る・・・というか、これが真実であると私は考えている。
※(更にアリについて付け加えると、ビックマウス発言はあくまでもパフォーマンスであり、素のアリは人格者だったようだ)
※(更に更に余談だが、なぜ筆者がここまでアリの肩を持つのかと言うと、最近友人が下らないテレビを見て『アリってやつはビックマウスで大したことねえヤツ。猪木の方がよっぽど男らしいよ!』とか言っていたのに、ちょっとカチンと来たからである。アリもすごい人だよ!!!アリを馬鹿にする奴は平和と平等の為に政府と戦ってからモノを言って欲しいもんである。とはいえ、このマイクでの罵倒と言うのは、格闘技を見ていない人からすると理解しがたい面もあるようで・・・まあ、ガチンコファイトクラブだと思っていただければ良いでしょう)
以上のような経緯から、アリは猪木との試合は筋書きのあるエキシビジョンをするつもりだったのである。
アリが来日してすぐに『で、台本はどこにあるの?』と聞いたのは有名すぎるエピソードである。
だからこそ、アリはガチスパーリングをして、アリ戦に挑もうとしている猪木を見てめちゃくちゃ驚いた。
アリ『嘘だろ!?プロレスじゃねえの!?できねえよそんなの!!!』
アリがこういうのも無理はないことである。
プロレスはショーであり、ブック(筋書き)があるというのが、アメリカプロレスの共通認識なのであるから。アメリカプロレスのサーカスの様なショー的楽しさと、日本プロレス特有のガチこそがショーと言う認識の違いによって起こった問題と言ってよいだろう。
それ故にアリは『ほとんどのプロレス技を使わないルールを採用せよ』と条件を提示してきた。
猪木側はこれを了承。そして始まったのがあの試合なのである。
フルラウンド猪木は寝っ転がって蹴りまくり、アリはそれを避けまくったのである。
なんじゃそら!!!と言いたくなる展開だが、噛み合わないのは仕方ない。
これは当時、世紀の凡戦と言われているが、後にこれぞ日本初の総合格闘技の試合であると再評価されることになり、この立ったアリと寝っ転がった猪木の図式は総合格闘技界では『猪木アリ状態』と言われるようになる。
主に、立ち技が得意な選手と寝技に長けた選手が膠着状態になった時に使われることが多い。
この試合により、異種格闘技戦が産声を上げ、総合格闘技に繋がっていったのはまず間違いのないことであり、この試合の後、猪木の知名度も世界的なものになったのであった。
※猪木はアリ戦直後に、クシュティーのレスラーと死闘を繰り広げた。