格オタブログ

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1995年 頂上決戦。UWFとプロレス、強いのはどっちだ!?髙田延彦VS武藤敬司

https://www.nikkansports.com/battle/photonews/photonews_nsInc_202206120001137-17.html

・時代  1995髙田年

・対戦  髙田延彦VS武藤敬司

・ルール プロレス

・勝敗  武藤敬司の勝利

 

アメイジングな結末!!!これぞ、天才武藤の本領!!!

日本プロレス史上最大の対抗戦、最後に待っていたのはプロレスLOVEだったッッ!!!

gyudonhitosuji.hatenablog.jp

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日本最大のプロレス団体として栄華を誇っていた『新日本プロレス』。

しかし、驕れる者は久しからず、1984年、新日本の次世代スターであった前田日明は新日を離脱。格闘技主体の本格プロレス団体『UWF』を設立し、数々の名勝負を繰り広げ、ファンから熱狂で迎え入れられる。

 

しかし、UWFは内部でのイザコザの末、3つに分裂する。

前田日明のリングス、(後にあのヒョードルを輩出)。巧者藤原喜明率いる藤原組、そして髙田延彦率いのUWFインターナショナルである。

髙田延彦は今や『出てこいやおじさん』として世間では知られているが、

元々は新日本プロレスの選手である。前田日明の後輩にあたり、前田を兄のように慕っていた時期もあり、UWFではエース級の扱いをうけていましたが、UWFの選手、宮戸、安生に担がれる形でUWFインターのトップとなる。

 

結果として前田を裏切ることになったのだが、ここには髙田の後輩を捨てきれない漢気があってのことと推測する(諸説あり)

 

宮戸、安生はUWFインターをUWFから続く格闘技路線のプロレスでありながらも、エンタメ要素を持たせ、髙田を第二の猪木にすべく暗躍する。

 

例えば、プロレス団体に果たし状を送り1億円トーナメントを開催すると発表したり、

前田を執拗に挑発し続けたり元横綱北尾をリングにあげて一撃で叩き潰したりと、世間の注目を集めた。

他団体に対して挑発的な態度をとっていたため、彼らを快く思っていないファンも多かったが、逆にそんな彼らに魅了されるファンも多く人気を集めた。

 

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そんな折、UWFインターの選手である山崎がUとの契約を反故にして新日で試合を行う。この処遇について、新日、Uインターは同日、同時間に記者会見を行う。

会見中、記者がそれぞれの陣営に相手陣営の発言を伝え、遂には電話にて直接対談に至るも、話し合いは決裂、その際、当時の新日本の実質的トップである長州力が

 

『東京ドームを抑えろ!!!』

 

と吠え、新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争が東京ドームにて開かれることになった。

 

そして、大将戦はUWFインターが誇る世界最強の男『髙田延彦』と新日本プロレスのIWGPヘビー級王座にしてG1 CLIMAX覇者、天才『武藤敬司』

これは両団体の名実ともにトップ同士の戦いであり、UWF設立から長年続いていたショープロレスと格闘技プロレスの完全決着も意味していた。

 

 

この対抗戦には裏話があり、表向きには人気を博していたUWFインターであったが、大手スポンサーがいなかったことなどから自転車操業の経営であった。

また、新日本プロレスも北朝鮮での興行が経営的に失敗に終わり、多額の負債を背負っていた。その為、両団体は大型イベントを開催して負債をチャラにしたいという思惑があったのである。

 

そして思惑通り、この対抗戦は日本中で話題となり、平日にも関わらず、東京ドームに6万7000人が詰めかけるビックイベントとなった。

 

試合前から会場内外では両団体のファン同士が喧嘩を繰り広げるなど、異様な雰囲気であった。

 

試合カードはそうそうたるメンバーで、後にグレイシー一族を打ち倒す桜庭や、のちにIWGP王座になる永田、帝王高山、獣神サンダー・ライガー、佐々木健介、橋本真也と両団体のスターが入り乱れる戦いとなった。

 

特に、長州力VS安生洋二は、安生の度重なる挑発に腹を据えかねていた長州力が大激怒、手加減なしの技を連発し4分45秒で瞬殺。

試合後、インタビュアーの質問を受けて『キレてないですよ』と言ったのは有名なエピソードである。

 

今でこそ好々爺然とした雰囲気のある長州だが、昔は怖かった!!!!

 

さて、メインイベントの髙田延彦VS武藤敬司だが、入場から対照的であった。

武士のように静かに入場する髙田、ガウンを羽織りド派手に登場する武藤。

 

イデオロギーが違う、

プロレス観が違う、

歩んできた道のりが違う、

しかし、今二人の道はハッキリと交差した!!!

 

試合序盤の試合展開は静かなものだったオーソドックスな関節技の応酬は、相手の技量を確かめ合っているようでもあった。

髙田の執拗な足関節を軽く防ぐ武藤。

 

今見ると、アメリカンプロレスの体現者であり、ショー的なプロレスを得意とする武藤だが、しっかりと基本的な関節技も得意で動きに無駄がない、更にはテイクダウンディフェンスやガードポジションまで見せる。武藤はなんでも出来るのか!?と驚愕する。

 

更には、打撃にしても武藤はローリングソバットを放ったかと思えば、髙田はローキックと決して交わらない二人。

 

首相撲で蹴りまくる髙田の一瞬の隙をついてのバックドロップ一線・・・

更にそこからのムーンサルトプレス!!!

しかし、蹴りで返す髙田!!!髙田の蹴りも強く倒れる武藤。

 

試合は関節技の応酬となるが、関節技では髙田に一日の長があり、武藤は防戦一方。

しかし、一瞬の隙をついて、武藤がドラゴンスクリューで髙田の膝を破壊

 

そして、光速で足四の字・・・プロレスのTHEプロレスの・・・初歩中の初歩、格闘技ではまず見ない関節技、四の字固めを髙田に決めた。

髙田は四の字から脱出できずに、ギブアップ。

この瞬間、武藤の伝説が始まり、髙田の夢が終わった。

 

その後、髙田はUWFインターナショナル経営に情熱を持てなくなり、翌年Uインターは解散。

 

この試合はプロレスの王政復古の大号令であると同時に、総合格闘技全盛時代を迎える前夜の微かな匂いを日本に運ぶのだった。

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