プロレスラーは強いんです!!!
桜庭、グレイシーを倒す偉業を成し遂げる
・時代 2000年
・対戦 桜庭和志VSホイス・グレイシー
・ルール 総合格闘技
・勝敗 桜庭和志の勝利
PRIDEが開催されてから、日本は総合格闘技一色になった。
ノールールでの戦いはこれまでにない真剣勝負だ、本当の最強を決める格闘技だ、と言われて大人気になっていく。
その過程で総合格闘技のルール事態も整理されていき、初期の異種格闘技戦の装いから徐々に競技として成熟していった。
そんな中、頭角を現した選手がいた。
桜庭和志である。
桜庭はもともとUWFインターでデビューその後、Uインターの後継団体キングダムに参戦。Uと同じく格闘技色の強いキングダムは97年12月、日本で行われたUFCJapanaトーナメントに桜庭を出場させる。
すると、桜庭はそこで強豪外国人を相手になんと優勝するのであった。
同年行われた髙田VSヒクソンで、プロレス最強髙田が敗れたことにより、日本中のプロレスファンが落ち込んでいたところでのこの勝利、当然大いに盛り上がった。
そして、優勝した際、桜庭が放った『プロレスラーは本当は強いんです』という発言は日本中のファンを大いに沸かせた。
その後、桜庭は髙田道場に移籍。
PRIDEのリングで外国人を相手に大暴れ。白星の山を築き上げた。
そして、99年。桜庭は最強のグレイシー一族の一人、ホイラー・グレイシーを相手に勝利する(当時は無差別級であり、ホイラーは桜庭より15キロ軽かった)。
試合後、桜庭は「次はお兄さん、僕と勝負してください」とヒクソンに挑戦状をたたきつけた。
そして、2000年。PRIDE2000 GPの決勝戦で桜庭はヒクソンではないが、UFC1、UFC2で優勝しており、更には高田延彦にも勝利を収めているヒクソンの弟、ホイス・グレイシーと対戦。
昨年のホイラーグレイシー戦を不服とするグレイシー一派は特別ルールを提案して、ゴリ推す。そのルールとは『たレフェリーストップなし、15分無制限ラウンドの特別ルール』である。ホイラーが負けたのは、レフェリーが止めたからだ!!!との主張のためのルールであった。
桜庭はこれを飲んで試合に挑む。
さて、ホイスとの一戦だが、終始桜庭が優勢だった。
ホイスの組みに対して、ローキックによって応戦。更に、立った状態で腕を極めて、カメラに向かってニヤリと微笑む桜庭に日本中が沸いた。
その後、桜庭はホイスをゴロンと転がして見せたりと、終始ペースを握り続け、7Rで絶対王者グレイシー一族は自らの敗北を認め、リングにタオルを投げるのだった・・・
これにより、グレイシー柔術王朝は陥落。桜庭こそがPRIDEのトップとなるのだった。
しかし、桜庭の天下が長く続く程総合格闘技は甘い世界ではなかった・・・
グレイシー一族はなぜ負けた?
対策が練られるようになったから
世にグレイシー柔術が出始めた時こそ、『なんだ?この技は?』と驚愕されていたが、時間が経つにつれて、その技術が解明されていった。
解明されれば、対応されるのは当たり前で、柔術攻略法が練られだすと、当然のように勝てなくなっていった。
しかし、だからと言って、グレイシーが弱いわけではなく、今や総合格闘技を習う人間は必ず嫌と言うほど柔術を習うことになる。その為、世界中で柔術が習われている。
この普及はグレイシー一族の影響であり、世界中に柔術を普及させた彼らが敗北したとは決して言えないのが現状である。
桜庭はなぜここまで強かったのか?
レスリングエリートだったから
桜庭はプロレスに入るまで、レスリングをしており、その実力は日本有数のものだった。レスリングは総合格闘技に必須のスキルのひとつ。その為、桜庭は総合格闘技に容易にアジャストできたのではなかろうか。
また、桜庭のすごかったのは、そんな総合の試合においてもプロレスラーとしてモンゴリアンチョップを繰り出したり、入場で客をわかせたりと、プロレスラーらしさを損なわなかったところだろう。
彼は日本のみならず、世界の総合格闘技に影響を与えた人物で2017年にはこれまでの業績が認められ、日本人としては初めてUFCの殿堂入りを果たしている。