格オタブログ

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2004年 カリスマVS神の子 魔裟斗VS山本“KID”徳郁

https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2021/05/06/kiji/20210506s00003000454000c.html

・時代  2004年

・対戦  魔裟斗VS山本“KID”徳郁

・ルール キックボクシング

・勝敗  魔裟斗の勝利

 

時代が生んだスターが夢の対決。

K-1最大最強の試合。

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PRIDE全盛期に呼応して、大人気になったイベントがある。それがK-1である。

93年に空手家の石井和義が発足、「空手」、「キックボクシング」、「カンフー」、「拳法」のナンバーワンと言うことで『K-1』と名付けられる。

 

名前の通り、立ち技最強を標榜する団体であり、当時数多くのスター選手が生まれた。

その中でも一際輝いていたのが、反逆のカリスマ魔裟斗である。

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魔裟斗は日本人ながら選手層も厚く、大柄な外国人も多い中量級、ミドル級で大活躍し、2003年、2008年には世界一決定トーナメントで優勝している。

 

爆発的な人気をほこり、K-1全盛期を支えた立役者である。

 

そんなノリノリだった魔裟斗に2004年10月にある男が挑戦状をたたきつける。

 

それが、神の子山本“KID”徳郁である。

 

オリンピックレスリング代表の父を持ち、自身も大学時代全日本学生レスリング選手権大会優勝するほどの実力を持っていた彼は総合格闘技に転向、修斗でプロとして活躍し、2004年にはK-1デビュー。

 

K-1の総合格闘技ルールでの試合において圧倒的な破壊力を見せつけ、K-1デビュー僅か10か月で国民的大スターになる。

 

そして2004年10月13日の試合後、リングの上から山本“KID”徳郁は魔裟斗に呼びかける。

 

山本“KID”徳郁『魔裟斗くん、二人で試合でもして日本を盛り上げましょう』

 

会場のボルテージはマックスになるも、魔裟斗は冷静だった。

この時を振り返り、魔裟斗はこう語っている。

 

「無理でしょと思った」

 

なぜか、それは二人の体格差にある。

魔裟斗はミドル級 身長174センチ、体重70キロ

一方、山本“KID”徳郁は身長162センチ、体重65キロ。

 

コンタクトスポーツにおいて、打撃の威力は体重によるところが大きい。だからこそ、あれだけ細かく階級がわかれているのだ。

 

魔裟斗とKIDの体重差、リーチ差、身長差はどれも絶望的なまでに違う。

普通に戦えば、魔裟斗が勝つに決まっている試合だ。

 

試合が決まれば二人は激しい舌戦を繰り広げる。

 

KID『魔裟斗君は今俺とやっといた方がいい。もうちょいして俺とやったら勝ち目がない』

 

魔裟斗『ハッキリ言ってメリットない。でもなんで受けたか?楽な試合だからですよ』

 

当時、魔裟斗は既にスター選手。一方KIDは出始めたルーキー。しかも試合は魔裟斗の土俵のキックボクシング。魔裟斗優勢であるのは目に見えて明らかだった。

 

しかし、当時のKIDは神懸かっていた。これほどまでに強さと華を持った選手はいなかった。だからこそ、ファンはKIDなら何かしてくれるだろう、そうに違いないと思ったのだった。

 

 

そして、KIDはファンの想像を超えて見せてくれた。

 

2004年大晦日。大観衆の中、二人は拳を交える。

そして1R。まさかのKIDのフックが魔裟斗を捉えてダウンさせた。

あのカリスマ魔裟斗がKIDに食われてしまうのか!?

 

しかし、魔裟斗が立ち上がり、その直後、魔裟斗が放ったローキックがKIDの睾丸にヒットした。

 

・疑惑のローブロー

解説にいた総合格闘家であり、プロレスラーでもある船木誠勝は

『完全に視線が下にいっている』と故意の睾丸蹴りだったのではないかと匂わせている。

 

個人的な感想としては、魔裟斗はそういうことを好む選手ではないので、故意ではなかったと思いたい。本人も後年この時を振り返って『マジでヤバい』と思って焦ったと言っており、また、スタンスの広い構えを取った時に、ローキックが股間に当たるのはまま起こりえるのだ。

 

さて、ローブローの後、あまりの痛みでKIDは動けない。

解説席からも試合続行は不可能ではないのか?との声が上がる。

 

KIDは5分間のインターバルの後、試合を続行させる。

 

しかし、痛みのせいで精彩を欠いたKIDに魔裟斗は猛攻撃をしかけ、2R魔裟斗の判定勝ちで試合は終了した。

 

このローブローがなければ試合はどうなっていたのだろうかと思うと残念でならない!!!

 

しかし、この試合でKIDの知名度、人気も飛躍的に爆発し、翌年のK-1の運営母体FEGが主催する総合格闘技イベントHERO‘S立ち上げへと繋がっていく。

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