日本MMAの歴史 黎明編(紀元前23~1885年)
日本で初めてMMA、つまりなんでもありの試合が行われたのは、
神話上の建御雷神と建御名方神の戦いでしょう。
二神の戦いこそ相撲の起源と言われており、
そしてそんな相撲は第11代天皇垂仁天皇の時代(紀元前23年)に、野見宿禰という腕力の優れた人物と当麻蹴速という人物の戦いが最初にとられた立会いであると考えられています。
これが相撲の始まりであり、当時の相撲は蹴りあり、殴りありのまさになんでもありのルールでしたが、時代を追うごとに相撲のルールが整理されていき、現代、我々が見る足の裏以外を地面につけたら負けと言うルールになっていきます。
では、そんななんでもありの古代相撲が形を変え後世に伝えられたのが組討ちです。
組討ちとは、戦場において敵と戦った時に相手を組み伏せる技です。そもそも、甲冑は刀で切り伏せられるものではないので、まずは相手を組み伏せた後に、鎧で覆われていない箇所に刀を突き立てるのが一般的でした。これは組手甲冑ともよばれ、有名漫画ドリフターズでは主人公島津豊久が使用したことで有名です。
殺すか、殺されるかの場において、組打ちはまさにルール無用の殺人技でありました。
そんな組討ちが体系化していき、出来上がったのが柔術です。
柔術は以上のような理由で戦場では必然的に近接格闘技術が必須になることから戦国時代に生まれた格闘技であり、当身技(打撃)、投げ技、極め技の揃ったまさに現代の総合格闘技のような技術が数多くありました。
柔術は日本中に普及し、明治時代まで多くの人々に愛されていました。
しかし、明治時代に柔術を元に、嘉納治五郎が柔道を作り上げ、1885年に行われた警視庁武術大会において、多くの柔術家を撃破。
柔道が柔術の流れを汲む武術として日本中で一大ムーブメントを巻き起こしたのです…