格オタブログ

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1954年 英雄VS鬼 力道山VS木村政彦

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E5%B7%8C%E6%B5%81%E5%B3%B6

 

昭和の巌流島決戦。それは、格闘技界永遠の謎。

謎は血だまりの中に消えたのであった。

 

・時代  1954年

・対戦  力道山VS木村政彦

・ルール プロレス

・勝敗  力道山の勝利

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※この記事は諸説ある中のひとつを脚色していることを留意してください。

 

柔道の鬼、無敗の男・・・柔道界の雄木村政彦は経済的理由から柔道からプロレスへの転向を余儀なくされた。

しかし、木村が組まされる試合は負け試合ばかり、(プロレスにはブックと呼ばれる筋書きがある(諸説あり))そのことに木村は言いようのない不満を持っていた。

 

なぜ、最強の自分が噛ませ犬を演じなければならないのか・・・

真剣勝負ならば誰にも負けないのに・・・

 

木村『真剣勝負なら力道山にも負けない』

 

木村は新聞紙面において、当時プロレス界の大スターであった力道山を挑発。

力道山はこれに応じ、二人は試合をすることになる。

これは当時、プロレス界最強VS柔道界最強の対決、昭和の巌流島決戦と銘打たれ、波紋を呼んだ。

 

ここで、力道山という男について説明する必要がある。

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力道山はプロレスの父と呼ばれ、戦後のプロレス界における大スターであった。

英雄的な人気とは裏腹、彼の性格は苛烈そのものであった。

 

力道山の愛弟子の一人アントニオ猪木は力道山から、殴る蹴るの暴力、暴言を日常的に受けており、アントニオ猪木は生前『あの時受けた屈辱は忘れることが出来ない』と語っていたほどだ。

更に、同じく愛弟子の一人、ジャイアント馬場は力道山のことを『人間として何一ついいところがなかった』と発言していることからもその性格がうかがい知れる。

苛烈でありながらも

 

 

さて、日本中が大注目したこの試合であるが、序盤はお互いの攻撃を受け合う、プロレス的な展開が続いたものの、突如として力道山が木村の顔面にパンチを見舞う(これはプロレスにおける反則である)。ひるんだ木村に張り手の連打を食らわせ、木村は歯が折れ、顔を切りその場で気を失い、彼が倒れたマットには大きな血だまりが出来た。

それはプロレスと呼ぶにはあまりにも凄惨な試合であった…

 

 

この試合の裏ではいくつもの思惑があったと言われている。

もっとも有力な説は、もともとこの試合自体がブック(台本)のあるものだったという説だ。その証拠に木村は前日大酒を飲んでいるという記録がある。明日に真剣勝負をする男の態度ではなかったのだ。

恐らく、試合はブックのもと、予定調和的に終わるはずだったが、木村の攻撃を恐れた力道山。彼はその苛烈な性格からブックを破って完全に木村を破壊する為に彼を強襲し、ブック破りを行い試合を無理やり終わらせた、という見方が現在では一般的である。

 

とは言え、現存する資料の少なさなどから、この昭和の巌流島の裏になにがあったのかは、未だに定かになっておらず、この試合は格闘技界における大きななぞになっている。

 

武術家としては、卑怯と言われようが勝ちに徹した力道山の方が優れていると言えるかもしれないが、しかし、このやり口に激怒したのが極真空手の開祖大山倍達である。

彼は木村を兄のように慕っており、力道山の強襲に激怒。復讐の為、力道山を追いかけまわすようになる。

 

 

その後、力道山はプロレスラーとしての地位を確固としたものにしていき、一方、負けた木村は歴史の表舞台から去っていく…まさに明暗を分けた試合となったのであった。

 

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