プロレスは大人気格闘技で、現在は新日本プロレスのオカダカズチカ、内藤哲也などなど、スター選手はロックスターのような人気を獲得しており、またスターダムに代表される女子プロレス人気も目を見張るものがあります。
この記事では日本のプロレスに焦点を当て、その歴史、強さ、八百長と言われる所以やその理由について徹底解説します。
尚、この記事は筆者が記事や人づてに聞いた話を元にしていたり、筆者の考えが影響している記事なので、確証がない箇所が一部あることを留意してください。
プロレスとは
リングの上で観客に向けて行われる格闘技です
ルールはリングの上で、フォール(両肩をマットについた状態)を3秒間維持させる、KO(10秒間立ち上がることが出来ない)、ギブアップなどによって勝敗が決まります。
反則技は、凶器や目つぶし、急所攻撃、拳による突き、つま先での蹴りなどがあげられます。尚、打撃による反則は相手の身体に断続的に触れ続けない限りは注意のみで終わることがほとんどです。
世界中でさまざまな団体があり、日本だと、新日本プロレスや全日本プロレス、プロレスリングノアが主な団体となっており、選手は日本中を巡業して、各地で試合をし、試合数は年間100近くにもなる選手もいます。
階級も存在しており、100キロ未満をジュニアヘビー、100キロ以上がヘビー級と呼ばれています。
ショー的な要素が多く、コーナーポストから飛ぶ派手な飛び技や、プロレスラーもヒールと呼ばれる悪役、ベビーと呼ばれる正義側に分かれて抗争が行われるなど、まるで漫画を見ているようなエンターテイメント性が大きな特徴です。
プロレスの歴史について ・・・その1「プロレス誕生」
力道山がデビューした1951年がプロレス元年と呼ばれています。
戦後、力道山がデビューし多くの大柄な外国人レスラーを薙ぎ倒していく様が、敗戦間もない頃の日本国民に大人気となりました。当時、テレビは家の中ではなく、街頭にあったため、力道山の試合を見る為に黒山の人だかりが出来たほどです。
プロレスの歴史について ・・・その2「新日本プロレス、全日本プロレスの誕生」
力道山の弟子であった猪木、馬場はそれぞれ新団体を立ち上げます。
力道山が率いていた日本プロレスは大人気でしたが、力道山が死去した後、日本プロレスのエースであったアントニオ猪木、ジャイアント馬場は日本プロレスを離脱。
アントニオ猪木は新日本プロレスを設立、ジャイアント馬場は全日本プロレスを設立します。それぞれの違いは以下の通りです。
新日本プロレス…
当時、日本人VS外国人と言う図式が一般的だったプロレスであるが、猪木は海外とのコネクションが作れなかった為、当時としてはタブーとされていた日本人同士の試合を行うことになる。また、猪木はストロングスタイル、プロレス最強説を標榜し、様々なジャンルの格闘家と異種格闘技戦を行い、独自路線で大人気になっていく。
全日本プロレス…
全米レスリング同盟とコネクションのあった馬場はどんどん外国人レスラーを日本に招聘、国際色のあるプロレスを維持し続け、大人気になっていく。
猪木の弟子である藤波辰爾、長州力、馬場の弟子であるジャンボ鶴田、天龍源一郎の4人は特に人気レスラーとなっていき、4人を合わせて『鶴藤長天(格闘頂点)』と呼ばれる時代に突入していく。
プロレスの歴史について ・・・その3「UWF」
猪木の弟子前田日明はプロレスを格闘技に特化させた団体UWFを立ち上げる
猪木の弟子、前田日明は新日本から離脱後、更に格闘技色の強いプロレス団体『UWF』を立ち上げる。その背景には派手な技の応酬はショーであり、台本があるのではないか?というプロレスファンの根強い疑問に答えるというものがあった。
その為、UWFでは派手な技はなく、打撃や関節技をメインとした展開が続き、現在の総合格闘技の礎となった。
UWFは人気団体となるが、相次ぐレスラー同士や経営陣とレスラーとの確執により分裂。前田日明の弟弟子である高田延彦のUWFインターが後継団体としては有名。
プロレスの歴史について ・・・その4「闘魂三銃士、四天王プロレス」
プロレスの黄金時代が到来。
前田日明や高田延彦の少し下の後輩である、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の3人が頭角を現し、3人合わせて『闘魂三銃士』と呼ばれるようになり、新日本プロレス黄金時代が到来する。ちなみに、三銃士の中でも武藤敬司は天才中の天才、不世出の男なので、必ずチェックして欲しい。
一方、全日本プロレスは鶴田VS天龍という黄金カードが切れなくなった経緯があり、その結果、三沢光晴・川田利明・田上明・小橋健太の4人が台頭。4人は高度な技術、更に超危険技を応酬し、爆発的な人気をほこった。これらを総称して『四天王プロレス』と呼ばれるようになる。
その後、ジャイアント馬場の死去に伴い、人気レスラー三沢光晴が全日本の社長となるも、経営陣と意見が食い違い、三沢は全日本を離脱。三沢が辞めるならばと、ほとんどの全日レスラーが離脱し、彼らは三沢を筆頭に『プロレスリングノア』を設立。
『プロレスリングノア』は爆発的な人気となり、一大ムーブメントを起こす。
プロレスの歴史について ・・・その5「プロレス暗黒時代」
2000年代格闘技ブームに押される形で人気低迷。
2000年代に入ると、プライド、K-1など格闘技ブームが日本に到来。それによりプロレスの人気は低迷。更に、新日本プロレスはレスラーを総合格闘技に出場させるも、総合の特殊な技術に対応できず、敗北するレスラーが続出。
一方、ノアは人を頭から落としまくる技を出しまくったり、過剰なマイクパフォーマンスをせず、試合で魅せる興業が多かった。その為、ネットでは『ノアだけはガチ(真剣)』というスラングが出来るほど、一部の熱狂的なファンが産まれた。
更に虫の息の全日に武藤敬司が移籍。武藤はショーアップされたアメリカンプロレスを目指していた為、新日本の格闘技路線に見切りをつけ、全日に移籍。その後全日の社長となり、様々なユニークかつ楽しいイベントを開催し、全日は奇跡的に息を吹き返す。
やっぱり武藤はすごいので、武藤は要チェックである。武藤こそプロレス。
プロレスの歴史について ・・・その6「人気回復」
ブシロードに買収される。
2010年代、ブシロードに新日本プロレスが買収され途端に業績はV字回復。棚橋弘至などスター選手を輩出。みんなが見ていて楽しい、派手、男前な選手が大勢現れ、業績だけ見ると過去最高を記録し、レスラーの男前化現象により、プ女子と呼ばれるプロレスオタクの女性も現れ、今尚新日本プロレスは大人気である。
一方、プロレスリングノアは往年の選手たちが多数所属する、プロレスの玉手箱のような団体になる(選手が20歳若ければ泣。でもね、やっぱりすごいっすよ。だって、船木とか桜庭いるんですよ!!!)。とはいえまだまだ大人気であり、新日本との対抗戦は記憶に新しい。
プロレスの強さについて
弱い訳がないだろ!!!ふざけるな
2000年代にプロレスラーが総合で負けまくったので、プロレスラーが弱いと勘違いされている方も多いようですが、違います。彼らはアジャストできなかっただけであり、身体能力値がエリートのプロレスラーがガチで戦えば弱い訳がないのです。
例えば、猪木はアリと真剣勝負したり、ペールワンと死闘を繰り広げた。当時最強と言われ誰も勝てなかったグレイシー一族に引導を渡したのは我らが桜庭和志選手ですし、ドンフライ相手に一歩も引かずに奇跡の試合を繰り広げた高山善廣のことを弱いだなんて言う人がいたら僕は許しませんよ!!!高山、元気な姿を見せてくれ!!!
冷静になって書くと、もちろんプロレスラーはプロレスをする時が一番強いのですが、その身体能力や常軌を逸したハードな練習で培われた精神力や技の完成度は強いと断言できることでしょう。
事実、アメリカのプロレスラーブロックレスナーは総合格闘技最大の団体UFCでチャンピオンになっています。
八百長について
ブックと呼ばれる台本はある程度あるらしいけど、それがどうしたと言うのだね?
プロレスラーは一年に凄まじい数の試合を行うことや、ある程度ヒールとベビーの抗争の流れを団体が決めている(という説)為、ある程度、ここでこの技を出す、何分で試合が終わるなど決まっていると聞きます(諸説あり)。
それで、なんだ、ショーじゃねえか!と切り捨てるのはあまりにも浅慮です。
生で見れば分かると思うのですが、じゃあ、試合の流れが決まっていると言って、100キロ超の男達の殴り、蹴り、投げをまともに食らい続けれるでしょうか?時として、死亡者や怪我人が出るほどの威力を耐え抜けるでしょうか?
そんな過酷な環境下で見せるレスラー達の技、パワー、精神は美しい・・・(恍惚)
その美しさの前にはブックがどうだとか、もうしょうじきどうでもよくなるのです。
まとめ
この記事ではプロレスに関してその歴史、強さ、八百長について徹底解説してきました。以下まとめです。
・プロレスはショー的な要素が強い格闘技
・プロレスは1951年以降、様々な時代を経て今尚人気
・プロレスラーは強い
プロレスは美しい、プロレスisフォーエバー