人類最強決定戦
21世紀最初の世紀の一戦!!!
・時代 2005年
・対戦 ヒョードルVSミルコ・クロコップ
・ルール 総合格闘技
・勝敗 ヒョードルの勝利
2000年代初頭。格闘技界は狂い咲いていた。
桜庭VSホイスのような劇的な試合を数々生み出した総合格闘技イベントPRIDEは国民的人気が集まり、更にそれに呼応する形で台頭した立ち技最強を決めるイベントK-1の両イベントは熱狂を持って迎えられており、1億総格オタ時代が到来していたのである。
では、ここで疑問に思うのが、K-1とPRIDEどっちが強いの?である。
もちろん、立ち技と総合格闘技、ルールが違う、本来比べるべきものでもないかもしれない。しかし、そんな常識をファンは許してくれない。
2002年に行われたPRIDE.20において、当時のPRIDE、K-1のトップ選手が激突することになる。
それが、K-1のミルコ・クロコップVSPRIDEのヴァンダレイ・シウバとの一戦である。
・ここでミルコという男について説明しよう。
K-1のミルコはクロアチアで生まれた。
当時民族紛争が続いていたクロアチアで、ミルコは次々と周りの友人達が死んでいくのを目にし、『強い男になって、もう誰も死なせない』と不屈の精神で格闘技を始める。
当時、物資も経済的な余裕もない中、ミルコは父親手作りのバーベル一つで自分の身体を鍛え上げていく。
18歳の時、ミルコは軍に通信士として入隊。しかしミルコの上官はミルコの格闘技に対する決心を見抜くと、ミルコに『俺はお前が良い兵士になるとは思っていない。だが、良いファイターになると信じている。だから通信士の仕事から解放するので、毎日トレーニングを積んで強くなってくれ。そしていつか母国に誇りを持たせて欲しい』と言い、キックボクシングを始める。
そして、96年にK-1デビューすると、強敵たちを打ち倒し、瞬く間にスター街道を駆けあがっていくのであった・・・
・ミルコVSPRIDEの男達
ミルコVSシウバだが、シウバは当時のミドル級王者で寝業師。
この打撃VS寝技の超一流対決は3分5R判定なし、グラウンドでの膠着はブレイクの後スタンドからのリスタートという、総合格闘技に不慣れなミルコ有利のルールと言うこともあり、引き分けで終わった。
更に同年8月、PRIDEにK-1と猪木が協力する形で、K-1VSPRIDEの全面対抗戦『Dynamite!』が行われ、そこでミルコは当時のPRIDEのエース桜庭和志を下からの蹴り上げで撃破する。
これにより、ミルコは総合格闘技界においてもその名を馳せるようになるのである・・・
・PRIDE本格参戦と立ちはだかる人類最強の男。
2003年より、ミルコはPRIDEに本格参戦し、戦いの場をキックボクシングから総合格闘技に移す。
そして、次々にその打撃で強敵を撃破していく。
キックボクサーが総合格闘技に参戦すると、大体タックルでこかされて、寝技で仕留められるのがお決まりのパターンだったのだが、ミルコはタックルされても、その卓越したディフェンス力で絶対に倒れず、相手を引きはがしてボコボコにするストライカースタイルで猛威を振るった。
このことから後に総合格闘技に適応した最初の本格ストライカーと呼ばれることになる。
そして、ミルコはある男との試合を熱望するようになる。それが当時人類最強の男と言われたエメリヤーエンコ・ヒョードルである。
・ヒョードルについて
ここでヒョードルについて説明しよう。
ヒョードルはロシアで生まれ、サンボと柔道を始める。
どちらでも高い実力を見せ、特に柔道では並ぶものがいないほどの実力を見せるも、国からの補助金が出なくなったため柔道を続けるには経済的な問題が生じていた。
その後、前田日明のリングスで総合格闘技デビューすると、初代リングス世界ヘビー級王者に就き、2002年からはPRIDEに参戦。
以降負けなしでPRIDEの世界ヘビー級チャンピオンになる。
当時のPRIDEは総合格闘技世界最高峰の舞台であり、そこで無敗の最強ということはつまり、世界最強の男と言っても差し支えのないほどの力を持つ男だった。
・ミルコVSヒョードル人類最強決定戦
ミルコはPRIDEで破竹の勢いで勝ち進めるも、ノゲイラやランデルマンと言った強豪に
敗北を喫する。それでも、戦い続け、2005年にヘビー級王座に挑戦権を獲得するのだった。
実は両者、2003年に戦う予定だったのだが、ヒョードルの怪我のせいで試合が流れており、更にミルコはヒョードルの弟エメリヤーエンコ・アレキサンダーを撃破するなど因縁があり、そんな紆余曲折から試合前から大きな盛り上がりを見せていた。
二人の試合は今思えば1Rで既に勝敗が決していた。
1Rでお互いヘビー級とは思えないスピードの打撃戦を見せる。
ヒョードルはミルコのミドルキック対策として、大きく足を上げて脛で防御する戦法を取り、またヒョードルの打撃をミルコは寸でのところでかわし続ける目の良さを発揮する。ハイレベルの攻防が続いた。
試合が動いたのは1R中盤。ミルコの左ジャブがヒョードルに直撃。
そのまま追撃をするミルコの打撃に合わせて、ヒョードルはオーバーハンド気味のパンチを食らわせると、その圧力にやられたのか、冷静さを欠いたミルコはハイキックを不用意にも出してしまう。
ハイキックをヒョードルはかわし、ミルコはその場でバランスを崩す。それでもなお追撃を加えようとするミルコをヒョードルは冷静に倒し、上からパウンドのパンチを当てて試合を完全に支配する。
これが効いたのか、精彩を欠いたミルコは2、3Rともにヒョードルに押される形で試合は判定でヒョードルの勝利となった。
ミルコはK-1史上最強の選手と未だに言われており、ヒョードルも同様である。
この試合はK-1VSPRIDEの最終戦争であったと言っても過言ではないだろう。
尚、ミルコの試合はクロアチアで放映されると、視聴率が50%を超えることも珍しくなく。母国クロアチアで国会議員にもなるほどの英雄となり、その強さは上官が言っていたように祖国に誇りを持たせたのであった。