格オタブログ

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日本MMAの歴史・・・④ UWF編(1984~1997年)

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  新日本プロレスはアントニオ猪木一強時代が長く続いたが、新世代前田日明が台頭してくる。前田はアントニオ猪木の命令で、新団体UWFの立ち上げに一役買う。

 UWFは既存のプロレス像を打ち砕く、本格派プロレス路線で大いに人気になるも、経営難により、新日本プロレスとの業務提携を余儀なくされるのであった。

 

 新日本との業務提携も、前田は新日本プロレスのレスラー相手にもUWF流儀の本格プロレスを仕掛けに行く。度々前田は不穏試合と言われるような危険な試合を行うも、1984年に行われたキックボクサー、ドン・中矢・ニールセン戦で勝利し、人気を不動のものとする。

 

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  前田は再度UWFを始動させ、多くのファンを獲得するも、今度は経営陣とのトラブルに見舞われ、UWFは空中分解することになる。

 そこで、時の人になるのが髙田延彦であった。

  

髙田率いるUWFインターは過激なプロモーションにより、一躍人気になっていき、リーダーである髙田は様々な一流ファイターと試合することになる。

しかし、そんなUWFインターも大手スポンサーがつかなかったことなどから、経営難になっていき、95年には新日本プロレスとの対抗戦に至ることになる。

そこで、髙田は当時の新日本プロレスのトップ、武藤敬司と試合することになり、激闘の末敗れた。

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 その後、UWFインターは呆気なく解散。

 しかし、髙田には更なる戦いが待っていた。

 

 時同じくして、アメリカ格闘技界で革命が起きる。

 世界最大の総合格闘技団体UFCが誕生。

 ルールなしのなんでもありの試合を制したのは、グレイシー一族の男、ホイスグレイシーだった。ホイスは試合後、兄は自分の10倍強いと発言し、大きな波紋を呼ぶと共に、兄ヒクソングレイシーこそ世界最強なのではないか?と噂されるようになる。

 

 髙田は長年、最強を標榜してきた。

 つまり、この世に世界最強が二人いるという、大いなる矛盾がここに生まれてしまったのである。二人の男のプライドをかけたイベントが開催される。

 イベントの名はPRIDEである。髙田はヒクソンに敗れたが、PRIDEは大人気イベントとしてシリーズ化されていき、日本最大の格闘技ブームを牽引していくことになるのだった。

 

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