力道山には二人の弟子がいた。それがアントニオ猪木とジャイアント馬場である。
二人は徐々に頭角を現していき、日本プロレスを離脱。
アントニオ猪木は新日本プロレスを立ち上げ、『打・投・極』がそろったプロレスこそ最強の格闘技であると、プロレス最強論を提唱。
様々なジャンルの一流たちと異種格闘技戦を行うようになる。
猪木が行った異種格闘技戦の中でも一際注目されたのが、1976年のモハメド・アリとの一戦だ。
この試合で様々な攻撃が禁止された猪木は、アリに対して終始寝ころんで対戦した。
立っている相手に対して、寝て対処して硬直状態になる状況を猪木アリ状態と呼び、未だに総合格闘技界で使われる用語となる。
アリ戦後はクシュティの使い手アクラム・ペールワンと死闘を繰り広げるなど、猪木の異種格闘技路線は続いた。
猪木のこれらの戦いは後のPRIDEに繋がっていく…
これは近代総合格闘技が産声を上げた瞬間でもあったのだった。