格オタブログ

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日本MMAの歴史・・・③燃える闘魂編(1954~1976年)

https://number.bunshun.jp/articles/-/853715

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 力道山には二人の弟子がいた。それがアントニオ猪木ジャイアント馬場である。

 二人は徐々に頭角を現していき、日本プロレスを離脱。

 アントニオ猪木は新日本プロレスを立ち上げ、『打・投・極』がそろったプロレスこそ最強の格闘技であると、プロレス最強論を提唱。

 様々なジャンルの一流たちと異種格闘技戦を行うようになる。

 

 猪木が行った異種格闘技戦の中でも一際注目されたのが、1976年のモハメド・アリとの一戦だ。

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 この試合で様々な攻撃が禁止された猪木は、アリに対して終始寝ころんで対戦した。

 

 立っている相手に対して、寝て対処して硬直状態になる状況を猪木アリ状態と呼び、未だに総合格闘技界で使われる用語となる。

 アリ戦後はクシュティの使い手アクラム・ペールワンと死闘を繰り広げるなど、猪木の異種格闘技路線は続いた。

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猪木のこれらの戦いは後のPRIDEに繋がっていく…

これは近代総合格闘技が産声を上げた瞬間でもあったのだった。

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